家系図を辿る手がかり「氏姓制度」の話

名字のルーツ「氏姓制度(うじかばね・しせいせいど)」

古代の大和朝廷は貴族や豪族を支配・統治するために、国の貢献度や政治の地位によって「氏(うじ)」と「姓(かばね)」を与えました。これを「氏姓制度」といいます。

この特権的な地位は基本的に世襲です。これが日本の名字の始まりと言われています。

氏姓は、今の名字とは性質が異なりますが、大化の改新をへて律令国家になった日本に生き続け、有名無実になっても後の戦国時代や江戸時代まで、いわば「血族のブランド」は影響を与えました。名字を辿る上でも重要な制度です。

現代とは違う、「姓」の意味とは

現代で姓といえば名字のことですが、古代では「かばね」と呼ばれており、意味は全く違います

姓の起源は、神話の時代に遡るくらい大昔、各地を支配した男性が、その土地名プラス「〜比古(彦)」やその妻・女性を「〜比売(姫)」と尊称したことが始まりではないかと言われています。そのほか、各地にある神社のご祭神や伝説に登場する戸畔(とべ)、耳(みみ)、玉(たま)、主(ぬし)、守(もり)、根子(ねこ)、君(きみ)、別(わけ)、祝(はふり)なども、この尊称にあたり、豪族の長や集団を統治したリーダーに付けられているので、ご存知の方もいるでしょう。。

このような尊称を基にして、古代の統治者である大和朝廷が5〜6世紀ごろにかけて「氏姓制度」を成立させていきました。各地の豪族などを統治するのに、特定の仕事を任せることや階級を与え、姓を与えるにより管理支配を広げていきました。その種類は30種類以上に登ります。

古代の姓には大きく分けて、二つの性質がありました。一つは、あとで説明する「氏」の出自によって与えられるもので「臣(おみ)」「公・君(きみ)」など大王(天皇)の子孫の豪族に与えられたもの、蘇我臣や息長(おきなが)公などです。他にも「連(むらじ)」は、神武天皇より以前からあり、大王と先祖を別にする「神別氏族(しんべつうじぞく)」という神々の子孫に与えられたものです。中臣連、忌部連、大伴連などがこれに当たります。

もう一つは、職業に対して与えられたもの。「国造(くにのみやつこ)」「県主(あがたのぬし)」などがあります。その後、王族への忠誠心の証に「真人(まひと)」「朝臣(あそん)」「宿禰(すくね)」などの姓が加えられました。

 

天武13年(684)、「八色の姓(やくさのかばね)」という制度が制定されました。八種類の姓は、天武天皇が新しい身分制度を作り、皇族の地位を向上させるために生まれたものでした。ただし、それまでの姓も無くなったわけではありませんが、地方と中央、上級官人と下級官人などの家柄や地位などをはっきり区別しました。

その後は、形式的なものに変化していき、ほとんどの氏族の姓は朝臣に統一されていきます。

同一血族・家系を示す「氏」

古代日本にとっても、血縁関係にある家々の集団は重要です。古事記・日本書紀には各氏の遠祖の神々が記されています。この編纂(へんさん、編集のこと)がされた当時は、神話の神々から連なる血族の地位は高いものでした。大王(天皇)の近くでその職務を務める同族に対して与えられ、神を遠祖にもつ氏です。物部氏(軍事関係)や土師氏(古墳造営)、渡来系氏族の秦氏(養蚕・機織り)などがこれにあたります。

また中央に属する地方の有力豪族は土地の名前から与えられた氏もあります。出雲氏や春日氏、葛城氏などです。そして忘れてはならないのが、天皇直々に与えられた氏「源(みなもと)」「平(たいら)」「橘(たちばな)」「藤原」「菅原」「在原」などの「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる氏族です。

これらは、臣籍降下(天皇の血筋で臣下になった)者から派生した氏と、大きな業績があった氏です。いわゆる、清和源氏や桓武平氏とも呼ばれる血統がこれになります。天皇からの命名により一度は莫大な権力を誇るこの主な四氏族も、時代と共に盛衰していきます。

時代とともに氏姓から「名字」へ変化する

神様に連なる氏族も、天皇に任命された職務を行う氏族も、天皇の交代や中央政権の争い、同族内の覇権対立により栄華を極めたかと思えば、衰退しバラバラになることもありました。それはどの氏族も同じで、武家社会に移り変わるに連れて、氏姓制度は公式の場で残るのみとなり形式化していきます。

また、源・藤原・平などの氏名(うじめい)は、巨大な権力を得たために増えすぎたという背景もあります。そのため、自分が所有する領地から新たに「名字」を名乗ることが増えました。本家や分家を示す場合や、次男以下が別の土地に移るなどしたタイミングが多かったようです。

平安時代から鎌倉時代になり、荘園制度により武士や臣下も元の氏ではなくわかりやすい名字を名乗るようになります。こうして、朝廷との関係を示す「氏姓」から、個人を特定しやすい「名字」を名乗ることが主流になっていき、一般の人々にも名字が広がっていくようになりました。

まとめ

氏姓制度により、中央政権とその周辺の貴族や臣下は「氏姓」だけで、どの役職につき、どの地位のどんな一族かが一目瞭然になります。身分階級に関係するのが当時の「氏姓制度」でした。名字をたどると、「〇〇地方を統治した源氏に繋がる」ことや、「△△という戦国武将だったが、実は藤原氏」ということもあります。

歴史上の人物や、もしかしたら記紀に登場する神様から派生した氏族だったなんてことも、あるかもしれません。

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